2010年1月5日火曜日

慶応大学の梅嶋先生との間で

これからの教育のあり方を提起すべく、今現在進行形の形で慶応大学のSFC研究所の梅嶋先生と議論を重ねています。その中で今日の私が梅嶋先生に送ったメールを紹介します。
「本来は自分が教えている生徒の課題に応じて、課題や副教材を教師が自らの手で作成しなければ学習の効率には無駄が出てくるにも関わらず、最近、教師は多忙?、時間がない?事を理由に安易に業者の副教材に頼っている傾向が見られます。これは今まで課題をプリントをコピーして作成していたのが、著作権法の浸透によって安易に自分でその問題を盗用できなくなったため過去のように自分で印刷してペーパーや冊子を作れなくなったという事実もあります。本来,課題は個人に応じて個別に違うわけですから、個別の課題が作成されなければならないはずですが、(又、今やっと一部の学校では一人ひとり個別の課題にあった取り組みを始めた学校も出てきましたが・・・)このあたりも今の日本の教育制度を考えていく上での大きな課題であると受けとめております。すべて一斉であってはおかしいのに、現実は一斉なのです。本来教育は個別に指導すべきであるのに、明治以来の一斉型の平面的な教育が何の疑問もなく行われている現実が現場にはあります。私はこの明治以来、富国強兵の名の元、限られた時間でもって全員を同じ基準で同じレベルにまで押し上げようとしてきた(あの時代はあれでも仕方なかったと思っています)教育にそろそろ決別をして、根底から個人を主とした教育への転換を図らなければ、国際化した世界の中で、多様化した社会を背景に育っている今の子どもたちに、学びの喜びや達成感、興味・関心を育んでいくという点で、国家の人材育成の観点からは大きなマイナス要因を形成していると思っています。この結果が目的意識の欠如や自立できない大人現象、引いて言えばニート問題にまで影響をしていると推察しています。少子化の中、この高齢化社会を支えていくためには、これからの次代を担う個の価値、パワーが今以上に求められるのに、逆に落ちてきています。ただ単なる少子化に合わせた納税金額よる国家予算の数字だけの問題ではありません。
(またまた長くなりました、こんな話題だとすぐ熱くなってしまいます)
現場の一教育者の目線での意見ですが、教育の制度の改革も大事ですが、一度どこかで指導あり方の中味の検討もしていかないと、姿変えて魂変わらずという結果になっていくことを懸念します。今回、先生との取り組みの柱の一つである「絶対評価の教育」(これを進めていくと個別指導教育になっていくのです)はその点から言っても是非とも実証していきたいテーマの一つなのです。」
以下、また続きは慶応大学と文科省の初等中等教育局の担当者とテレビ会議で議論しながら、これからの教育のあり方についての年内に一定の結論を出したいと思っています。

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