2010年2月27日土曜日

3年制の卒業式

今日は3年制の卒業式でした。昨日までの雨と違って,青空のもと、40名を超える来賓の方々にも来て頂き、すばらしい卒業式ができました。
私はその式辞で、鈴鹿高校の創設者で、1ヶ月ほど前に亡くなった初代校長で名誉理事長の話をしました。その一部です。

ケイブン先生は京都大学文学部哲学科の卒業で、スポーツの大好きな方でした。そのケイブン先生がよく口にされていた言葉が、「人間社会はゲマインシャフトじゃなきゃだめだよ」という言葉です。
ゲマインシャフトとは、ドイツの社会学者テンニースの考え方で、特にその定義の中でも私が心引かれる部分について述べますと、ゲマインシャフトとは
○ パーソナルで親密な人間関係で、制度的諸関係はあとから派生する。
○ いかなる分離に関わらず、人間は本質的に結合し続けている。
○ 全人格的融合・愛着・信頼がゲマインシャフトの本質である。
といいます。そして、人間社会が近代化すると共に、地縁や血縁、友情で深く結びついた伝統的社会形態であるゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと変遷していくとテンニースは考えました。対義語であるゲゼルシャフトは、 [近代国家]や[会社]、大都市のように利害関係に基づいて人為的に作られた利益社会を指し、ゲゼルシャフトでは人間関係は疎遠になるという考え方です。
今やまさにゲゼルシャフトの社会になっていますが、それだけにより、先代の理事長であり、鈴鹿高校の創設者である堀ケイブン先生の「ゲマインシャフト」が強くよみがえってくるのです。
話を戻しますが、ケンブン先生のゲマインシャフトの精神があったからこそ、この地に鈴鹿高校ができた。だからこそ、我々は今、ここにいます。
今日、卒業していくみなさんは、分離していきます。みなが、一人ひとり別々の社会を生き、今日がその別れの門出の日です。
・・・・・・・・・・ゲマインシャフトの精神の中の、「いかなる分離に関わらず、本質的に結合し続けている」という、先ほど触れた部分です。
みなさんは縁があって、3年前にこの鈴鹿高校に集まりました。遠くからは九州からも来た人もいます。そのみなさんが共にこの高校で過ごした3年間の高校生活はまぎれもない事実であり、誰も変えることのできない事実であるということです。そこからして、いかなる分離に関わらず、本質的に結合し続けているし、今後も
同じ場所を共有し、生活を共にした仲間として、いつまでもつながっていくと信じています。・・・・・・

2010年2月26日金曜日

3年制・6年制ともに表彰式と同窓会入会式

今日は、3年制・6年制が卒業式に先立って、同時に表彰式と同窓会の入会式がありました。
特に今年は同窓会から、新しい校舎に同窓会室を作っていただき、その目録の授与式がありました。
本番は3年制が明日の2月27日(土)、6年制が3月1日(月)と行われます。
 6年制の表彰式

 同窓会長から目録贈呈
 新しくできた同窓会室

2010年2月19日金曜日

6年制のマラソン大会と3年制高校のスキー研修無事帰校

今日は午前中、四日市の緑地公園で6年制のマラソン大会が実施されました。本来なら鈴鹿サーキットのレーシングコースを走る予定でしたが、前回は中止になったので、場所が緑地公園に変わりました。でも生徒たちは一人ひとりが男子が外周3周、女子が2周をよく走りました。夕方には3年制高校の1学年がスキー研修を無事に終えて帰校、報告会では集団としての時刻前集合がすべて守れたこと、全員が元気に研修できたことの報告を受けました。どちらも全員が元気で活動し、無事に終えることができホッとしています。これは校長特有の緊張感なのです。いろんな行事を体験する中で子どもたちは育っていきますが、特に校外行事ではリスクも出てきます。そのリスクは回避できるものと回避できないもがありますが、回避でないものでも学校としての責任を感じます。それでも敢えて行わなければならない中で、唯一の救いは子どもたちの笑顔やがんばる顔、悔しいそうな顔などいろんな普段の学校生活では見れない顔です。これがあるからやっていくことができるのです。一つ余計な顔も公園で見つけたので写真に撮ってきました。

2010年2月17日水曜日

中学も高校もスキー研修です

昨日まで中学校の2年生が3日間スキー研修でした。今日からは高校の1年生がスキー研修に出発しました。鈴鹿高校では野外体験学習を重要な教育活動として位置づけています。どうしても学校と言うコンクリートの箱の中で毎日同じような生活を送っていると人間の成長も知らないうちに、人間が、自分が世の中の中心と勘違いし、小さく固まってしまいます。もともと人間も自然の一部であり、自然に触れることで眠っている感性がよみがえってきます。特に本校は富士山登山やこのスキー研修もそうですが、大きな自然、厳しい自然を体験する事で、人間のちっぽけさ、自然の偉大さを気づいて欲しいと思っています。そこから、自分は人間としてどう生きていくのかを考えて欲しいのです。自然にはとてつもないエネルギーがあります。人の力ではどうすることもできない力、また、自然には多くの動物や植物を育んでいくやさしさもあります。これは言葉では伝わらないもので、まさに体験・感覚するしかありません。自然とずっと向かい合い、自然から多くを学ばせてもらった私としては、本当は(あくまでも個人的にですが)下手な授業をしているより親からも離して、1ヶ月ぐらいは自然の中で生活をさせたいのですか、、、、。鈴鹿にネイチャーチャレンジクラスでも作ってたくましい子供を育てますか・・・・
 6年制中学2年のスキー研修
 3年制高校1年9クラスのスキー研修の出発

2010年2月16日火曜日

三流・二流・一流・超一流の違い?

県内のある学校に行った時、「三流・二流・一流・超一流とは」と、その違いについて書かれていました。それを見てなるほど、子どもたちに教えるのにわかりやすい表現だと思ったので紹介します。

三流とは人の話が聞けない人のこと
二流とはいい話を聞いても実践しない人のこと
一流とはいい話を聞いて実践する人のこと
超一流とはいい話を聞いて実践し、自分から工夫する人のこと
だそうです。

2010年2月12日金曜日

サーキットでマラソン大会

今日はサーキットでマラソン大会がありました。みんなが自分の苦しさと戦いながら走っている顔を見て、勉強も大切だが、こんな体や精神力を鍛える行事も高校生活の中には必要だと改めて思いました。生徒を応援していたら、「校長先生も走らな!」と言われました。実は前には走っていたのですが、最近はマラソン大会に走っていないので、その生徒に、「来年は一緒に走るから!」と約束をしてしまいました。言ってしまった以上、約束を校長が破っては生徒に嘘をついてもいいと教えることになるので、来年は久しぶりに走ってみます。若いころ、名古屋シティマラソンの第1回大会に参加した時、ランニングシューズを忘れて、友達の手前辞めるわけにも行かず、そのまま「えーい、なんとかなるさ」と東京オリンピックでアベベが裸足で走って優勝したことを思い出し、自分もまねをして足の裏をまめだらけにして走ったこともあります。さすがに痛かったですが、今ではいい思い出です。また、声をかけてくれた生徒のおかげで来年はいい思い出をつくるために58歳のおっさんが走ります。

2010年2月9日火曜日

先生も勉強です

今日は人権教育の授業研究会でした。今年は高知県からも見学に来ていただき、それぞれの発表の先生は授業案の作成段階から外部の先生に事前指導を受け、工夫もして授業しました。今年で5年になりますが、毎年、先生が交代で授業し、その後、その授業について、全員がどこかの分科会に分かれて研究協議会を行います。教師はこの授業公開と後の協議会でもまれることで最も力をつけていきます。いろんな角度からの気付きをもらい、子どもたちにどう授業をデザインしていくかを学んでいきます。私は最近「教える」という言葉をあえて用いません。教師は教えたがりですが、教えている間は生徒は受身になります。そうではなくて、生徒が自分で考え、発見したり、教師が満足するのでなく生徒が満足のいく授業をどう「デザイン」するかという、デザインという言葉でもって授業展開を語ります。今日はその観点ではまだまだ「教えていて」本人いわく失敗でしたという授業もありましたが、あとでああすればよかったと気付けばそれはその段階から成功に変わるのです。なんでも世の中、表と裏は紙一重で、成功も失敗もそんなものです。失敗は成功の元とも言います。失敗もしなければ成功もしません。「求めよ、さらば与えられん」ではありませんが、成長していくためにはなんでも失敗を恐れずにチャレンジすることです。






2010年2月6日土曜日

カナダからの訪問者

先日、カナダのバンクーバー近くの姉妹校(昨年10月末に行って来ました)から、2年前に本校に留学していたシェーヤさんがお母さんやホームステイ家族と共に校長室を訪問してくれました。翌日からは沖縄に空手を習い行くとの事、凄いですね!カナダでは高校を卒業すると、2,3年自分探しのような時間が与えられ、その間に働いたり、旅に出たりいろんなことを経験するのだそうです。そして自分で将来を見据えて進路を決めていくとの事、だからそこから大学に行くのは自分のしたい勉強をするためで、日本の大半の大学生のようにのんびりと遊びには行かないとのこと、カナダという国の人材育成=国力育成システムに驚きました。日本にはシステムはありませんが、それは自分の人生ですから自分で選べばいいわけです。他人に合わせないと居心地の悪い日本人社会では生きにくいことかもしれませんが、一度きりの人生、これからの日本の若者にも慌てずに生きていって欲しいものです。

2010年2月3日水曜日

朝日とともに登校

今日は、朝からしなければならない仕事があっていつもより早く登校しました。7時まえに学校に着くとちょうど朝日が昇って校舎を照らしていました。校舎が朝日に輝いている姿を見て、鈴鹿中高ともにいつも朝日を浴びているようないい学校にしていかなければならないと、元気をもらいました。普通はこんな時間に出勤している先生のいる学校は少ないと思うのですが、鈴鹿中高はすでに車が10数台も止まっています。かつて若いころ、自分は教師として力が無いからせめて誰よりも早く出勤してその日の準備をしようといつも早く来たときがありました。しかし、誰かが一人先に来ているのです。なんとか負けまいとこっちも必死で家を出てくるのですが、最後はとうとうあきらめました。その先生が退職されるまで(今でもそうですが)頭が上がらなかった前校長伊藤弘先生でした。

2010年2月1日月曜日

名誉理事長ご逝去

堀敬文名誉理事長が亡くなられた。私が公立の教師を海外遠征登山が元でやけで退職し、鈴鹿中高にお世話になった時、もう山をやめる覚悟であった。しかし、その私の心底を見透かしたようにケイブン氏(私たちはケイブン・ケイブンと愛称を込めてよんでいた)は、「山を辞めなくていいよ、俺を裁判所の被告席に立たせなかったら大いにやり給え」と逆に元気つけてくださった。「私がやりだしたら中途半端じゃないですが、それでもいいですか?」と確認したところ、「大いに結構」と身じろぎ一つせずに応えてくださった。その後、山岳スキー部を創設、2年目でインターハイ全国大会出場、3年目で高校生初のインドヒマラヤ登山、その時にはどんなトレーニングをしているのか自分の目で確かめたいと山までわざわざ見に来ていただいた。その後もロシアの天山山脈へ中国側からシルクロードを通っての日本人初の未踏峰の登頂など、ネパールの5年間の植樹活動へとつながるのだが、生徒とともに好きなことをさせていただいた。そんなことができるのは日本中の高校の中でも鈴鹿高校だけだと当時よく山仲間から言われたものだ。私の30~40代、教師として一番いい時代に、一番やりたいことを好きなようにさせていただいた。それはすべてケイブン氏の懐の深さと教師に対する信頼があったからだと思う。酒を飲んではよく旧制中学校や京都大学哲学科の話をよく語られた。私の心には書いて頂いた色紙とともに「社会はゲマインシャフトだよ」の言葉が刻まれている。そんな大きな人に巡り合えた自分を幸せに思いながら御冥福を祈りたい。
校長室の背中にこの写真を貼っていつも見守っていただいている