学校の庭の芝生に水引草(ねじり花)が咲いていました。
水引草といえば、25歳の若さで夭折した立原道造という詩人を思い出します。 死を間近かにした切ない感性で詠まれた多くの詩を詠んでいます。
その中でも
「夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまないやまない
しづまりかへった午さがりの林道を
・・・・・ 」
立原の夢はいつもいつもかえっていく、山の麓のさびしい村に、、、普通の人の夢はかなえられずいつもどこかにいってしまう。夢はそんな夢であっても良いのではないでしょうか?またその夢が返っていくのはそれはどこでもいいのです。現実の社会の厳しさを知った上で、その辛さを予想しながらもそれでも夢をもって生きてくことに意味があるのです。最後に草ひばりがさえずってくれれば十分なのではないでしょうか。
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